小島基成の全てのチューニングをポジティブに

小島基成のブログ。

一夜明けて

何年か前にやっていた(確かNHKで)ドラマ版のロンググッドバイで
「何の見返りも求めず、ただ自分が正しいと思う方を選ぶことのできる人間」
という科白があって、わーすごく良い科白だなー、と。
その科白を聞いて以来、ぼくの中でのハードボイルドの定義が
「自分の正しいと思った道を、なんの見返りも求めずに選べる人」
になって。

6年前、ぼくの中の
「自分の正しいと思った道」は「現地になりふり構わず行く」ことで、他人がどうあれ、世間がどうあれ、その道を「なんの見返りも求めずに貫く」ことで、それを糊塗して、酒でごまかして、テレビをみながら、涙を流そうとしている場合じゃないだろう。
なぁ、お前。
そんな場合じゃないだろう。

コンビニのレジを打ちながら、現地に「行かない」ことを「行けない」ことに置き換えて、芋焼酎飲みながら、それらしいことを賢しげにツイートしていた、あのとき、あの瞬間。

ぼくはとことん格好悪く、うだうだグダグダ言い訳が多く、アタマの中を正当化する術、手管を駆使するのに精一杯で、必死で、一言で言うなら醜悪だった。

「今なら」

熊本で地震がおこって、東日本大震災の時「やらなかった」ことを実行して。
周りが何を言おうが、他人にどう思われようが、「自分の正しいと思った道」を行って。
けれど、果たしてそれは、「なんの見返りも求めずに」だったのか?
「売れる為」に、「そのキッカケの為」に、という、「見返り」は求めていなかったのか?
違うよな。
そこまで、かっこよくはあれなかったよな。

結局のところ、「東日本大震災」の時にかっこ悪かった自分を乗り越えるために「熊本地震」を利用した。

「アクチュアリティーのない夜に」という作品を発表している立場として、どう見られて、どう求められて、どう行動しなければいけないのか。

頭の中には、様々な自分が様々な角度で格闘し合っていた。

3.11から六年経って、熊本地震から約二年が経って、まだまだ、まだまだ、「自分の正しいと思った道を、なんの見返りも求めずに選べ」てはいないし、いまも、日々、悶え、悩み、苦しみ、足掻き、闘い、それでも、少しでも、マシな人間になろうと、努力し、研鑽し、律し、今もこうして、この場所に。


「自制するために克己すると自律する」

この六年間で、ぼくが辿り着いたささやかな結論です。

ようするに、「少しでもマシな人間に成り続けていく為に、自分で決めた美学は守り続けていく」ということです。

ぼくは今も、この瞬間も、自分に負けたり、勝ったり、を繰り返し、繰り返し、繰り返しながら、前向きに生きています。

そして、それが、ぼくの6年間です。


いくつもの枝分かれした道の一番さきっぽが、今。


朝から洗濯機を回して、干して、パンを焼いて、スクランブルエッグとレタスとタマネギのサラダと昨晩の残り物の冷製パスタと生ハムと、コーヒー。
毎日新聞を読みながらカミさんと今日の予定について話す。

おだやかな日曜日。

車を買い換えようかどうか迷いながら何時間もネットで中古車サイトをあっちこっち飛び回り、筋トレして、たこ焼きを買いに出かけ、食べ、晩飯の牛タンを買って、食べ、レッドブル飲みながら、いくつかの、自らが選択した道の、一番さきっぽの未来。

つまりが、いま。

そんな何気ない日常が一瞬にして流されていったあの日。


「死ぬその寸前、瞬間、願わくば死したその後にまで、一秒たりともサボらないように努力し続ける」

それが、「アクチュアリティーのない夜に」というどうしようもない作品をYouTubeにUPし続けているぼくという人間の、選択です。

いくつもの枝分かれした道の一番さきっぽで、今日も。

いまも。


2017.3.12

ムシケVo.小島基成
  1. 2017/03/12(日) 22:46:45|
  2. 日々のこと
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0