小島基成の全てのチューニングをポジティブに

小島基成のブログ。

何かに急かされるようにして

どこに行き着くのか書いてみないと分からない、ということが多々あって、だいたいの目的地みたいなものは見えているのだけれど、さて、そこが何処なのかがイマイチよく分からんのです。

なので、書いてみてやっぱり違うかったとなれば、この文章はそのままお蔵入りだろうし、でもまあ、今現にこうして読むことが出来ているということはそうならなかったという事なのだけれども、今、現時点、実際にポチポチと書いているぼくからすると、ぼんやりとしすぎていてなにぶんにもボンヤリとしすぎていて。

天の川という曲について書きます。

今年の2月7日に企画をしたのを最後にライブ活動を休止して、今に至る訳なのだけれど、この間に何度かやめよう、と思い、けれどその度に既の所で踏みとどまり、踏みとどまったのが良かったのかどうなのか、自問自答しているうちにまたやめようと思い、その度に何かに絡め取られるようにして思いとどまり、はて、これはどういうことなのだろうか、と。

以前このブログで書いたように、あきよりとはやとの存在がなければ、ぼくはステージに立つのを投げ出していただろうと思います。
それだけは確かな気がする。
それぐらいこの間のぼくはギリギリで。

けれど、もしかしたらそれ以上に、そういう把握仕切れている事柄とは別の次元で、この天の川という曲そのものが完成されたがっていたのかも知れないなぁ、とこの前レコーディングを終えた後にフト思ったのです。
もっと言うと、この天の川という曲を完成させる為だけの活動休止だったんじゃないか、とまで。


天の川のレコーディングを終えて、曲を聴いて、まず始めに思ったのが、「これは俺じゃない」ということで。

あぁ、そうか、ここに来るのか。

わーこれは長い話になりそうだ。

さて、何からいこう。

今、こっからの文章を書くにあたって天の川の詩を読み返していたのだけれど、ボツにした詩の中に今言いたい心境にぴったりの断片があったので、それを。


「もう少し
それだけの
言葉が欲しい
あなたに何かを
残せるぐらいの
生気のかよった
声が欲しい」


よく分からないんだけれども、天の川をレコーディングする前後のぼくはどうも「アチラ側」(この言葉は恐ろしいくらいに不正確です。けれど他にしっくりとくる言葉が見当たらないので、代用させて貰います。すいません)にだいぶ近い場所にいて、そのアチラ側で発せられた生気のかよった声が、この天の川のボーカルのような気がしていて。

何かに詠まされた気がしてならんのです。


すごく傲慢なことを書きます。

この天の川という曲はそのモードに入り込んだ時にしか真価を発揮し得ない曲だとぼくは思っていて。

そのモードとはつまりがアチラ側と交信するということであり、もっと平たくいうと、ナニカの存在を信じるということで。

それは宗教家が神と呼ぶものであってもいいし、科学者がネイチャーと呼ぶものであってもいいし、詩人がポエジーと呼ぶものであってもいい。
それらはもしかすると同じものを違う呼び名で言い合っているだけなのかも知れず、もしこういう言い方が許されるのであれば、それはヒトの知性を超えたもの、知性という枠組みの外側にあるもの、宇宙そのものだと。

天の川という曲を通じてひとつ不思議な体験をしました。

それはここに書いてしまうと嘘っぽくなってしまう性質のものなのでここには書かんのですが、そのことを通じてぼくが感じたのは、この天の川という曲は確かに届けたい人達に届いたのだと。

ある意味、その地点でぼく個人の本懐は達せられたのだと思いました。
小島基成という存在が、報われた気がしたのです。

けれど、同時に「もしかするとこの曲をどうしようもないくらいに必要としている人が存在するのかも知れない」とも思って。

そして、もしそういう人が存在するのであれば、その人をその場所から救い上げることが出来るのはこの曲以外にはあり得ないのではないかと。

それがどのような人で何処にいるのか。

正直ぼくは全く分かっていません。

ただ、一つ確信していることがあるとするならば、それは、この天の川という曲には意志(この言葉も正確ではないです。けれどこの言葉以外に当てはめられる言葉を今のぼくはまだ知らないのです、すみません)があって、いきたいところにいき、辿り着きたいところに辿り着き、聴かれるべき場所で聴かれ、救うべき人を救い、癒すのだ、ということで。

ぼくが届けたかった人達はもうこの世にはいなく、けれど、アチラ側で確かにこの音楽は鳴らされ、誰かを救い、癒し、また想いは届いたのだと。

うっとおしいくらいに繊細で、げんなりするくらいに孤独で、見てはいけない自分を見つめて、扉を開け、暗い底から戻ってこれなくなってしまった夜だとかに、天の川がソラに架かっているのだとしたら、それはきっとそのものよりもそのもので。

うまくは書けていないのだけれど、他にどうしようもない時だとかに、もう本当にそれ以外に方法がない時だとかに、それを思い切る寸前にでもこの文章がチラリとでも頭の何処かを過ぎったのなら、最後の最後にだと思って聴いてみて下さい。

ぼくもよく分からんのですが、これはぼくではなく、なんかよう分からんぼくなので、あとはそのぼくに聴いて下さい。

多分、何かの力になれるはずだと、このぼくは思っています。


こちらのサイトからDLできます。
https://note.mu/mousike
※ノートのアカウントがいります。すいません。


なんというか、何よりもぼく自身が救われたのかも知れません、この曲に。

亡くしてしまった大切な人達に、二度と返ってこない大事な想い出に、これから逢うであろう愛おしいアナタに、そして何より、こうして今も呼吸して生きていられるという奇跡に。

空気というのは愛そのものなんだなぁと最近つとに思います。


今、この瞬間も宇宙は膨張していて、その大きな流れの中では、俺という個人はどうしようもないくらいに小さい。

けれどその小ささこそが愛おしいのです。


気づき続けていたいものです。

  1. 2014/11/09(日) 23:43:40|
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