小島基成の全てのチューニングをポジティブに

小島基成のブログ。

バド・パウエルを聴きながら

Bud PowellのThe Scene Changesを聴きながら。

雨の日にパウエルを聴きながら文章を書いてみたい、とここ最近ずぅっと思っていて、けれど中々にタイミングが合わず、ほったらかしにしていたのだけれど、今、ほんといま、快い感じになったので、綴ります。

晴耕雨読という生活が理想型の一つ(あくまでもひとつ)としてあって、わりかし憧れます。

詩を書いて、本を読んで、音楽を聴いて、物語を綴って、のサイクルの中に、友達と酒を呑んだり、家族と団欒したり。



八方塞がりという言葉の意味が最近やっとこさ解るようになってきました。

焦っているし、動きたい、けれど、いま動いてはいけないということが分かっている、ということほど辛いことはないです。


毎朝6:45分に起きて、18時ぐらいまでバイトをして、帰宅して、練習して、音楽を聴きながらストレッチして、飯喰って、読書して、寝る。

週二回筋トレして、バイトが休みの日には、やらなければいけないことをリスト化して行う。

恐らく、6月までに色々なことが判明してくるかと思います。

どうなるにしろ、精一杯やれることをやるしかなく、毎日、気持ちの上では毎分毎秒、手抜かることなく、この刹那でさえも生ききっていこうと。


と、ここでアルバムがThe Scene ChangesからBud Powell Trio Plays(バド・パウエルの芸術)へ。


バド・パウエルが鍵盤を弾くようにパソコンのキーボードを叩いてみたいなぁ、と今フト思いました。


「キーボードをタッチするんだ。
バド・パウエルのように。」


なんか詩的(笑)



天の川という詩がでけました。

細かなところは変わっていくかと思いますが、大筋は変わらないと。

ええ曲なのでYouTubeやら、ダウンロードシステムやら、なんやらで応援してくれている人達の所にまで届けたい、なんとか、と思っています。



この前(1ヶ月か2ヶ月か前)不思議な感覚に包まれました。

俺の中に詩想みたいなものが燻っているのなら、後は感じるだけなんだと。


駄文に最後までお付き合いいただいたことを感謝します。

ありがとうございました。




「天の川」


小島基成



想いの強さだけ言葉は逃げてしまって
死に別れた人達の未来の上に立っている

「風に乗って唄が聴こえる」

天の川が
空に架かってるんだ。

溶けては消えていった
素粒子達が
あまりにも繊細で
あくびが出るのです。
あの場所では今も
透明な哀しみが
救われ続けているのでしょうか。

毎日毎日くたびれるまで歩いて
それでも歩き慣れないっていうのは
きっと
今となってはもう歩けなくなっちまった奴らが
歩け、歩け、もとなり、歩け、って。

※やさしい食卓を囲むようなイメージで
ともしびのようなウタを謳いたいのだ
あたたかい家族の団欒のような
痛みを和らげる音を鳴らしたいのだ
それぞれが
それぞれ
それぞれの場所で
幸せであれれば
幸いなのです。
人として生まれてきたんだ
俺の人生をこれにかける。


数え切れないくらいの儚さが
光となって
渦巻いている。
宇宙の最果てから
この星の果てまで
可能性となって満ち溢れている。

把握仕切れないくらいの選択を重ねて
理解仕切れないくらいの偶然を連ねて
俺達は
俺達として
この空間に息をしている。

俺達が産まれてきた意味や
俺達が成すであろう意志や
死にゆく意義や
生きていく意地は
いつか全て大気に溶けて
誰かの深呼吸となる。
この空間にも
それは存在している。
大きく息をして
感じる
俺達は生かされているんだ。


この瞬間を遺伝子の中にまで
羅列として
刻み込んでいく。
温かな
優しい記憶として
心の底にまで
落とし込んでいく。

言葉でもって心を掘り進む
音と共にポエジーを旅していく
宇宙の中心から
この身中まで

ネイチャー

発光している。


強く生きる
この一秒
刹那でさえも
愛しく想う
強く感じる
この一秒
刹那を
強く信じる
強く生きろ
この一秒
刹那でさえも
生ききれ

人として俺達は産まれてきたんだ

「君の良心を信じてるよ」



響かせ漏らしたことはないか
奏で忘れたことはないか
言い残したことはないか

ないな。


音が尽きた

そしていま


「言葉がつきた」
  1. 2014/04/29(火) 13:00:50|
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