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基成ラジオ 其の二十五 「心の奥底で蟠っているナニカ」

 心の中で蟠っているもどかしい想いを、ぼくの場合は詩にしたり、言葉にしたりするのだけれど、それを音にする人もいるだろうし、絵にする人もいるだろうし。
 きっと、心の奥底で蟠っているナニカがある、というのが大切で、もしかしたらそれを人はセンスや才能と呼ぶのかも知れないなぁと思ったりしたのです。
 けれど、同時にここの所が誤解の下で、センスや才能と言ったり書いたりするから、わーなんか崇高やなぁとか、凄いなぁとか思うけれど、ようはこれは、手先が器用とか、足が速いとか、肩が強いとか、顔が端正とか、そういうのと同列で語られるべき物で、それ以上でも以下でもないのだと思う。
 本当に。
 さて、ここからは心の中に蟠っているもどかしい想いがあるのだとして、の話なのですが、問題はそれを外へ放出しようとするのか、しないのか、である、とぼくは思う。
 これは個々人の性質や環境が大いに関係してくるので、一概には言えないのだけれど、仮に、それを外へと放出しようとしたその場合、どのような手段でもって、というのは極めて重要になってくるのだと。
 言葉なのか、唄なのか、絵なのか、それとも映像でなのか。
 建築でも、美容でもなんでも良いのだけれど、端的に言うならば、自分が一番好きなものでそれをするのが比較的正しい選択だと思うのです。
 それをしている時が一番幸福、だというものが自分の中にあったならば、初めてその山の登山地点に立てるのじゃないかなと。
 勿論、登るかどうかは別にして。
 
 普段自分が何を一番に考えているのか。
 頭の中にあることは自分にしか分からない。
 自分でも分からないことはたくさんあるけれど、やっぱり自分は分かっているはずで。
 冷静に、嘘偽りなく、虚栄もなく、普段の生活の中で、ふと気がついたときに自分は一体何を考えているのか。
 それを掴んだ瞬間、残された手段は努力だけなのだと。
 心の中に蟠っているもどかしい想いを、どれだけ他者の中に落とし込めるか。
 それは、俺が、私が、思っていた事だ、という想いを他者の中に起こせるか、どうか。
 それを起こす為には、自分の心の中に蟠っている想いそのものを、普遍的なものへと昇華しなければいけなく、そのためには深い深いところまで掘り下げなくてはいけなく、掘り下げるためには色々な道具がいる。
 そして掘り下げて汲み上げたソレをきちんとした容器に入れ、包み、届けるための技術がいる。
 
 しなければいけない事が分かっているならば、それをしないのは怠惰だ。
 しなければいけない事が分からないのならば、分かろうとすれば良い。
 
 ようは、本気でそれを望んでいるのか、どうか。
 自分という存在を問い続けるということが、今のぼくにとってのナニカなのかも知れなく、またその問いからの超克というものが、ネクストレベルへの鍵なのかも知れない。
 
 明日から、短いけれどツアーが始まります。
 
 頑張ってきます。
  1. 2013/02/27(水) 15:48:58|
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