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小島基成のブログ。

基成ラジオ 其の十三 「一人旅の思い出③」

アプリリアクラシック50



(前回からの続きです)
 
 二度としないと固く誓った夜間走行を再び行って、岡山辺りまで無我夢中でUターンした。
 とにかく一刻も早く家に帰りたいという一心で。
 なんであんなに家に帰りたかったのか、と今思い返してみると、事故するの嫌や、という一言につきる。
 この旅をするまで市外を走ったことはほとんどなかったし、ましてや山なんて。
 当然ながら夜も走り慣れていなかった。
 それが急に山越えや、バイパスや、長距離夜間走行や、を繰り返し、精神的にひどく疲弊していたというのが大きい。今思えばだけども。
 岡山で「もう限界やー、今日中には帰られへん」と堪忍して、野宿する場所を探しに市内へ入った。
 暴走族がぱらりらぱらりら走っていて、もの凄く怖くなったのを覚えている。
 野宿に最適な公園は、静かで、けれども民家やらがあって気持ち的に安心できて、屋根があるところ。
 しかし好条件の場所は探せども探せども見つからなく、結局市民公園かなんだかで野宿した。
 大通りが近くてうるさくて、屋根もないので木の下で寝て、ひどく寒かったのを覚えている。
 岡山から大阪までは大体200キロぐらいなので、一日で帰れるだろうと、明日は家につくだろうと、寝袋の中でちょっと安心して、いやまて、その安心が事故するもとや、気を引き締めろ、と自分を戒め、そうこうするうちにいつのまにかウトウトし、ハッと眼が覚めたらまだ夜で、長い。夜明けがこない。寝よう寝ようと意識すればするほど車の走る音や、草木の鳴る音などに敏感に反応してしまって寝付けない。ウトウトしてはハッと覚醒し、けれどまだ夜。というかまた夜。というのを何度か繰り返しているウチに朝になった。
 朝ってすごく安心するのですね。
 というか太陽ってすごい。
 思考が一気にポジティブになった。
 まぁ大丈夫やろう、と。
 これが二日酔いの時なんかは太陽ってマジ最悪やーとか、朝ってなんなん、とか思うのだけれど、この時はまさに朝ってやつは大天使のようでした。
 そこからはこりずにバイパスを走って痛い目に遭ったり、カントリーロードを口ずさんで寂しくなったり、バイクが止まれへんかびくびくしたり、しながらも、順調に走り続け、神戸辺りからはなんだか急激に車が増えて、大阪ナンバーの車を見かけた時には心底からホッとした。
 そのうちに気がつけば回りは大阪ナンバーばかりに。
 これは旅をする度に思うことなのだけれど、ほんと気がつけばいつのまにやらその地域の車だらけになっていますよね。
 あと、気がつけば車が増えている。
 これはまた違う旅の話なのだけれど、いつかの旅の最中にこの真理を判明しようと思ってずっと気をつけていたことがあって。
 つまりが車っていつから増えるねん、と。どっかの町でぽんぽん湧き出てくるんかなぁって。
 で、注意している間に一つ分かったことは、山の中には信号なんて無く、山里にもほとんど無い、なので車はスムーズに流れ、結果車はあまりみない。
 それが山を越して里に降りるとまず信号がある。
 ここから町ですよーといわんばかりにそれはある。
そして町中に入ると段々と信号が増えてくる。信号が増えてくるということは町が近づいているという証で、信号があれば車は止まるわけで。車が止まると渋滞するわけで。必然的に気がつけば車が増えている。
その要領で町に入れば車が増え、街に入れば車が増え、都市に入れば車が増え、る。
 正確に言えば、前の車と合流する。
 とにかく、いつのまにやらぼくは車の流れに取り込まれ、大阪ナンバーに取り囲まれホッとしていた。
 と、同時に初めて、もっと尾道におればよかった、と後悔が訪れた。
 けれど、その気持ちが出てくると同時に、あかんあかん、気を引き締めやな、と運転に集中し、家につくまでが旅やぞ、事故したら元も子もないぞ、と固く気を引き締めて、もうなんやろう、とにかく無事に家に帰りたかったみたいです。
 そんなに嫌なら初めっから旅なんかしやんかったらええのに、とは思うのだけれど、実際に、その当時はもう二度と旅なんかせえへんわ、俺旅向いてないわ、と思ったのだけれど、家についた途端に、なんか、言い表せない寂寥感みたいなのが溢れてきて。
 小さいころ、自転車で隣町までいって、ひどく心細かったのだけれど、けれどなんかちょっとだけ誇らしかったみたいな。家に帰るとその小冒険を思い出して黄昏れたりしたみたいな。
 それの17歳版。
 体験入学的にした一人旅は、やっぱり体験入学でしかなかったけれど、それでも確かに当時のぼくにとっては、そして今のぼくにとっても大きな一歩で。
 家について、ガレージにバイクを止めて、部屋についた時の安心感にあぁやっぱり俺はガキやなぁと当時のぼくは思ったかどうか。
 とにもかくにも大仕事を無事やり終えた後のような心地の良い疲労感に包まれていたのは間違いない。
 
 ぼくにとっての初一人旅とはつまりが日常の大切さに気づく為のものだったのだと。
 家の大事さや、家族、自分を取り巻く人間関係の大切さを知って、独りでは生きていけないのだろうなぁという漠然とした感慨みたいなものを覚えて、自分がみんなと生きているのだということを知るための旅だったのだと。

 写真は当時の愛車アプリリアクラシック50。
 今は何処でどうしているのだろうか。
 写真の中でだけ生き続けるのは人だけではない気がします。
 


(この項終わり)
  1. 2012/11/28(水) 17:31:13|
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